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執筆者の写真Hidemi

韓国人のおばあちゃん


こんにちは。英語コーチ、ライフコーチのヒデミです。


今日はマザーズコーチングスクールに属しているマザーズティーチャーたちと「子どもと多様性」の第一回目の勉強会を開催させていただきました。





参加者の皆さんからはさまざまな視点をいただき、開催者側としては反省点山盛りだったのですが、本当に開催してよかったなと思っています。参加者の皆さん、ご参加いただきありがとうございました!(反省点、次回に活かしていきたいと思います!)


多様性を話し合う中で参加者の方からのお話で思い出したのが私のおばあちゃんのお話。


「昔は、人と同じじゃないとなかなか生きていけなかった時代」


私は在日韓国人3世として日本で生まれました。

親は両方在日韓国人2世。

私の祖父母たちが朝鮮本土から日本へ渡ってきました。


と言っても私は韓国語を話さないので、ほとんと韓国人としてのアイデンティティはありません。20代前半で帰化をして、国籍を日本にし、今は日本人として生きています。というか韓国籍というのは書類上(パスポート)の問題で、帰化する前もアイデンティティは日本人として生きていました。


おばあちゃんは自分が韓国人であるということを日本の人に知られないように生きていました。一方私は親から「恥じるべきことではない」と言われ、別に言えとも言うなとも言われずに育ちました。


おばあちゃんは一昨年の11月に94歳で亡くなりましたが、小さい頃からずっと「ハンメ」と在日韓国人がおばあちゃんのことを呼ぶようにそう呼んでいました。


でも施設に入ってから他の人に自分が朝鮮半島から来ていると知られたくなくて「ハンメ」と呼ばれることを嫌がっていました。


だから施設では「おばあちゃん」と呼んでいたのですが、私の中ではすごく違和感で、悲しさというか、惨めさというかなんかそんなものを感じていました。


「私はあんな風には生きたくない」


というのが正直な思いでした。


でも、多様性のなかった時代、戦争を経験し過酷な状況を生き抜いてきたおばあちゃんの中ではそうするしか生きていくことができなかったんだなと改めて実感し、そして今こうやって私が「(元)在日韓国人」であることを隠さずに生きていける世の中というのは多様性が広がっているからなのかもしれないと思ったのです。


私の周りには私を色眼鏡で見るような人はほとんどいませんでした。


つい「日本の多様性は遅れている」とマイナスな面に目が向きがちだけど、おばあちゃんの時代と今の私の時代を比べれば、日本という社会も確実に多様に生きられる世の中にはなってきている。さらに多様性が広がっていけば、もっともっと多くの人にとって生きやすい世の中になる。


私が私らしく生きていけるのは、多様性があるから。

自分らしく生き、それが受け入れられる世の中。


今日の勉強会で気づかせていただいたこと。


私とおばあちゃんを比べながら、私が生きている時代は、幸せだなと感じました。









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