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執筆者の写真Hidemi

私は自分に属する

更新日:2021年10月19日


私は元在日韓国人3世で、日本で生まれ育ったけれど国籍は韓国という環境で育ちました。(今は帰化して日本籍)


法事の仕方は韓国式。

小さい頃はチマチョゴリを着たと思えば着物もきたりと、







韓国の文化と日本の文化が入り混じっている家庭でしたが、言葉はまるっきり話せません。


母親が少し話せるぐらいで、あとは誰も韓国語を話さない家庭。


でも国籍は韓国。


幼少期はさほど自分でも気にしていなかったのだけど、衝撃的だったのがカナダに来てから。


パスポートは韓国なので、今までほとんど使ったことのない韓国名が記載され、その名前で銀行の口座などを作らないといけない現実。韓国名に自分のアイデンティティは皆無でした。


そして極め付けは、日本の領事館に行った時に、


「あなたは日本のパスポートじゃないからお手伝いできない。」


と言われたことでした。


その時に初めて感じた、


「私はどこの国にも属していないような宙ぶらりん」


な感覚を味わいました。


そこで自分のアイデンティティを統一するために、子供が生まれる前にと不妊治療中に日本国籍をとる手続きをして帰化。


1年以上かけて書類を提出し、面接したりして日本国籍を取得。


やっと日本国籍が取れた時、法務局の人に、



「これから日本人として頑張ってください。」



と言われた時の違和感は圧倒的で、、、、


「今までも頑張ってきたんですけど。。。」


と口にしている自分がいました。


きっとあの時傷ついたんだな。



そして時は流れ、無事に日本籍に帰化したはいいものの、カナダ生活が長くなるにつれて、日本人なんだけど、半分カナダ人みたいな自分に多々出逢うようになります。それが日本へ帰国した時に強く感じるようになりました。


そこでまた以前感じていた違和感。


日本にも完璧に属していない私。


かといってカナダ人ではない私。


こういう宙ぶらりんな感覚がよく湧いてくるようになりました。


カナダに住んでいるときは、一生懸命 言語(英語)と文化をカナダに合わせ、日本にいるときは「日本の文化に合わせなくては」と思う自分。


そんな時夫はいつも、


"You can be you. "


と言ってくれ、その言葉でいつも自分自身にベクトルを戻していました。



長い間こんな感じを繰り返しながら気づいたことが、


私はあまりにも「周り」に合わせすぎようとしていたんだということ。


(これが全く合わせないとなると逆にまたしんどくなったとは思います)


そして私が辿り着いた答えが、


「私は私自身に属する」

"I belong to myself."


という考え。


ここに辿り着いてから、なんとなく私のアイデンティティ戦争(戦っていたつもりはないのだけど😅)は終息した気がします。


とりあえず、どこに行っても「私は私」「私は私自身」に属していて、いる場所や状況、人によっていろんなアイデンティティを上手に使い分けている自分がいる。


「そっか、これでOKなんだ」


とはじめて理解できた気がします。


「私はこのアイデンティティに属する!!」


って考えるととてもしんどいけれど、


とりあえず私は「私という人間」に属していて、そこが私の安全基地。


こんな風に考えるとちょっと生きやすくなった私がいます。


私は自分自身に属する


これが私の中での「私らしく」ということなのかなと思います。


 

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